家康 征夷大将軍に就任し幕府を開く
関が原の戦後処理、論功行賞は全て家康の主導によって行なわれた。
関が原の大勝利から二年後、ニ条城を築いて京都の拠点とするなど、家康はもはや実質的な天下の支配者であった。
だがたてまえは、あくまで秀吉の遺児秀頼を立てると言う形を取り続けた。
慶長8年2月8にも、家康は大坂城に赴いて秀頼に年賀の挨拶を述べている。しかし、この日が、家康が秀頼に対して臣下の礼を取った最後の日となった。
4日後の慶長8年2月12日、家康は朝廷より征夷大将軍に任じられ、名実ともに武門のトップ、政権の担当者となる。
江戸幕府の始まりである。 62歳。
天下人たらんことを胸に秘めて徳川と改姓してから37年の歳月が過ぎていた。 "