クビライの夢-2 | 歴史の散歩道

クビライの夢-2

元の第五代カアン・クビライは、チンギスが結集させた草原の軍事力を支配の根源として保持しつつ、中華の経済力を管理し、ムスリムの商業力を再編成して、遊牧と農耕の世界を融合し、モンゴル世界連邦を創設した。 

             モンゴル時代のイメージの真実

 モンゴルとその支配については、ありとあらゆる言葉をつくして、さまざまな非難や悪罵が歴史を通じて浴びせられてきた。

 暴力・破壊・殺戮・圧制・搾取・強奪・強制・無知蒙昧・粗野・野蛮・粗暴・悪辣・邪悪・破廉恥・無軌道・不寛容・非文明などである。

 このようにモンゴルについては、悪い評判が普通であった。
とりわけモンゴルを「文明の破壊者」とする考えは古くから繰り返されてきた。

 例えば、イランないしイスラーム、中東地域の低落が述べられる時、しばしば「モンゴルの破壊」に、その由来が求められた。

 又、ロシア方面についても「タタルのくびき」と言う用語でモンゴルの支配がロシアにとって如何に過酷で苦渋に満ちたものであったか、帝政ロシア時代から、ソ連時代、さらに最近に到るまで、好んで語られた。

 しかし、一般にモンゴルを悪者とするイメージがもっとも定着しているのは、中国史の場合である。

 モンゴル時代の中国では、支配者のモンゴルは無知蒙昧で、高度な中国文化を理解できなかった。
そのため、中国文化を支えてきた伝統の文化人や知識人たちは不遇な境遇に追いやられた。

 一口で言えば、モンゴルは中国にとって災厄でしかなかった・・というのが、これまでの常識である。

 科挙の停止、四階級制の確立、そしてマイナス・エネルギーの発露とされる庶民文化の興隆、というのが決まり文句で、たいていこの三点で説明される。

 モンゴルは、中国と民衆にとって、混乱と圧制と搾取に象徴されて、南宋時代にめざましい発展を遂げて、世界最高の社会・経済・文化・技術の水準に到達していた中国は致命傷と言える大きな痛手と頓挫を味わう事となった。・・・・

 ・・・と言う事になっているが、どうやら実態は少し違うと言う研究もなされてきた。
モンゴル統治下の世界連邦は、それ程の痛手を受けていなかった・・と言う事なのである。

 モンゴルは、本当にすべての文化に反逆し,戦いのみに生きる「蛮族」であったのであろうか。

 十三世紀の中国史を仔細に探索し、モンゴルが如何なるものかを段々に紐解いていこう。 "