クビライの夢ー4 | 歴史の散歩道

クビライの夢ー4

 元の第五代カアン・クビライは、チンギスが結集させた草原の軍事力を支配の根源として保持しつつ、中華の経済力を管理し、ムスリムの商業力を再編成して、遊牧と農耕の世界を融合し、モンゴル世界連邦を創設した。 

               三顧の礼

 「通説」では、「科挙の停止」が行われた為に、モンゴルは無知蒙昧で、高度な中国文化などは理解できなかったというが、実は中華文化の教養人であれば、「三顧の礼」をつくして厚遇した。

 旧南宋の学者・文化人でも、優れた人物はどんどん招聘した。モンゴルは、実に人材選抜に敏感であったし、熱心であったのである。

 評判の悪い「科挙の停止」についても、モンゴル政権のもとでは、これまでの中華王朝ならば人間選抜の第一の基準とされた、古典や文学の教養が万能とはされなくなってしまった。

 つまり、モンゴルでは、現実に役だつ能力、実務に携わり処理する実行力こそが第一だとされ「科挙」にこだわらなかったのである。
現実に「科挙の停止」された時期にも、かなりの中国人官僚がモンゴル政権に仕えていた。高級官僚もいたし、宰相・大臣クラスまで登った者もいる。彼らの殆どは科挙ではなく、いわば「推薦制」で登用されたのである。

 又、モンゴル人を最高位とし、南人を最下位とする「元代社会の四階級」も大いなる誤解がある。
モンゴルは、人種・言語・宗教・文化の違いに、殆どこだわらなかった。

 「モンゴル」というのは、草創以来の牧民貴族の子孫を中核に、モンゴル政権に参画したさまざまな人種からなる為政者達を指すのである。
つまり、家柄や出身が立派でなくても、人種や言葉や顔立ちが異なっても、運と能力と実績さえあれば、最高位の「モンゴル」となることもありえるのである。

であるからこそ、短期間に広大な「元帝国」を完成させたのであろう。
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