クビライの夢ー5 | 歴史の散歩道

クビライの夢ー5

 元の第五代カアン・クビライは、チンギスが結集させた草原の軍事力を支配の根源として保持しつつ、中華の経済力を管理し、ムスリムの商業力を再編成して、遊牧と農耕の世界を融合し、モンゴル世界連邦を創設した。 

 大カアンの家系図。
初代チンギス・カン。二代オゴディ。三代グユク。四代モンケ。五代クビライ。


              クビライの登場

 第五代皇帝・クビライは、時に37歳。
4代カアン・モンケより7才下の弟であった。

 4代皇帝のモンケは、チンギス・カンの末子トルイの長男であった。
モンケの急なる崩御で弟・クビライが第五代皇帝となったが、この時までのクビライについて、殆どこれといって伝えられる所が無い。

 クビライは異様な人である。
モンゴル人では誠に珍しい80歳の長命を保ったこと事態が異様である。
そして、突然37歳でモンゴルの東方の権力者として登場するまで、これほどの歴史上の人物でありながら、その前半生が殆どわからないというのも、異様である。

 クビライについては、すべては、1251年から見え出してくる。

 モンゴル人は無知蒙昧であるという説があり、しばしば第4代皇帝モンケも、単純・素朴な遊牧武人で、戦争の事しか知らなかったなどと語られる事もあるが、ペルシャ語の記録によれば、大カアンのモンケ自身が数ヶ国語を自在に操り、ユークリッド幾何学をはじめ、古今東西の諸学に通じていたという抜群の知識人であった。

 種々雑多な人種、多種族の世界帝国を指揮する人物が、普通言われるとおりの単純、素朴ではとてもやっていけないのは自明である。
言葉の面でも、通訳を介するより自分で判るほうが確かななのも当たり前である。

 クビライが、はたしてモンケのようであったかどうかは明確な記録がなく、クビライ個人が優秀であったかどうかは、史料の上ではわからない。
ただ、クビライはモンゴル語で「セチェン・カアン」すなわち「かしこいカアン」とおくり名された。
聡明な人物であったことは間違いないと思われる。