クビライの夢ー8 | 歴史の散歩道

クビライの夢ー8

 元の第五代カアン・クビライは、チンギスが結集させた草原の軍事力を支配の根源として保持しつつ、中華の経済力を管理し、ムスリムの商業力を再編成して、遊牧と農耕の世界を融合し、モンゴル世界連邦を創設した。 

 大カアンの家系図。
初代・チンギス・カン
二代・オゴディ
三代・グユク
四代・モンケ
五代・クビライ

             クビライ政権の国家収入

 ムスリム経済官僚を中心に推進された、クビライのモンゴル政権における財政運営と経済政策は、極端に重商主義であった。

 中央政府の収入の80%以上が塩の専売による利潤であった。
くわえて、10%から15%にのぼる商税の収入、つまり商行為に課税した収入である。
塩の専売収入と商税収入とをあわせると実に90%から95%となってしまうのである。

 農業生産物は、地方財政に振り当てられた。
その土地で出来たものから得られる税収はその土地でその土地の為に使ってしまうのが、クビライ政権の基本政策であった。

 叉、クビライ政権の大きな特徴として、「通過税」の完全撤廃がある
それまでは、商人が要所要所を通るたびに通過税を取られた。これでは、長距離を動く大型の商業や商人は育たない。
クビライとその経済官僚たちのブレーンは、中間の経由地における通過税をなくしたのである。
まさに、織田信長の関所の撤廃である。
その見返りとして、地方にはその土地からの税収の全てを地方税として与え、中央にあがってこなくともよい事にした。

 通過税の完全撤廃は、歴史を画するクビライの大英断であった。
遠隔地商人は、これで大いに楽になり大商人達はモンゴルの武力と交通網を使って、中国本土のみならずユーラシアの各地へどんどん出かけていった。

叉、商品は、最終の売却地で「売上税」を払えばよい事となった。その税率は、なんと一率に三十分の一、およそ3%と決められた。
従来、主要な城市や交通上のポイントを通るたびごとに、いちいち取られていた時からすると大変な低額である。それが「商税」であった。

 クビライ帝国は、拠点支配と物流・通商のコントロールを最大の特徴とする。
物資を集散し、それに課税して財源とすることで大いなる富を集めたのである。
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