歴史の散歩道 -4ページ目

カルタゴー1

経済大国・「カルタゴ」・・・

カルタゴは北アフリカにあり、地中海を挟んでローマの対岸にあって現在のチュニジアの地がそれである。

正確には「カルト・ハダシュト」・・すなわち「新しい都市」と言う意味であり、
今から2000年以上も前に北アフリカにあって、地中海世界で繁栄を誇った「通商国家」である。

この国と最初に張り合ったのはギリシャであった。・・が、そのうち、ようやく力を蓄え、軍事大国にのし上がったローマがカルタゴの相手を引き受ける。

そして、三度にわたる挑戦・応戦の結果、ローマはついにカルタゴを粉砕し、地上から文字通り抹殺してしまう。

世に言う所の「ポエニ戦争」である。

この「経済大国」・カルタゴこそが、「ローマによる平和」を脅かす最大の敵であると見なされたからである。
"

不屈の念仏者  親 鸞ー8

          妻帯と流罪の謎


女犯の夢告」は若き親鸞をいかに変えたのか、やがて出会う師は彼をいかに導いたか。

比叡山を下り、専修念仏の徒として再生した親鸞の、吉水時代の知られざる私生活と

やがて訪れる法難の経緯を追い,「非僧非俗の仏者」の原点を探る。


親鸞は比叡山からの離脱を決意する。

出家後の再出家、すなわち遁世の道である。

おそらく親鸞は早くから叡山での修道に限界を感じていたのだろう。


現世の衆生救済になんら答えをもち得ない叡山仏教の限界も含まれていた者と思われる。


親鸞の決意の背中を押したのが、「観音の夢告・むごう」であった。

不屈の念仏者  親 鸞-7

        空白のj前半生・・・親鸞・修行時代の謎


親鸞が生きた時代には、宗教巨人・親鸞は誰からも知られる存在ではなかった


正史やそれに類する歴史資料のどこにもその名前は記される事無く、親鸞は無名なままに生き、

無名なままに死んだのです。


そのために、かっては親鸞の存在そのものに疑義が向けられたことすらあったという。


弟子たちによりさまざまに語り継がれていた親鸞の伝記が、近代史学の検証にさらされた結果、信用するに足る内容でないと斬って棄てられたためであった


現代でこそ、親鸞の実在を疑う者はいないものの、依然としてその生涯の多くが謎に包まれたままであることにはかわりない。


そうなってしまった原因は、親鸞その人にある。

親鸞は膨大な著書を残したにも拘らず、みずからの生涯を殆ど語らなかった。

むしろ、みずからその足跡を消そうとした節すらある。


しかしながら、親鸞は他の誰もが到らなかった深部までおのれを掘り下げ、

だれもやらなかった方法で思想を実践し、親鸞にしか言えない言葉を残した事が、宗教巨人たる理由である。

不屈の念仏者    親 鸞-6

・・・・・・・・・「歎異抄」・・・・・・・・・・・・

数年前、この難解な『歎異抄」を解読しようと試みたが断念する。

その後数回手にとって眺めるも、そのたびに難解さに嘆息するのみであった。


釈 徹宗さん(浄土真宗本願寺派如来寺住職)によれば、

「歎異抄」と言う本は、本当にどん底になって、もうどうしようもない苦しみの時に読むと

痛切に心に響いてくる。・・・とのこと。


親鸞と言う人は多分、そうやって深いところで出会う人である。

何しろ、無垢な善意の中にこそ邪悪が潜んでいることを喝破していた人であるから。


そのような限界状況、なにが善で何が悪かもわからなくなるギリギリのところで光を放つような人が

親鸞の本質である。


「歎異抄」・・・日本語の読解力以外に、痛切なる心の叫び、苦悶する心が無ければ理解できない

本である。


★「歎異抄」とは。

800年ほど前、 鎌倉時代の日本を生きた仏教者、親鸞(しんらん)の思想を 一番はっきりと伝えていると言われる書物。 親鸞の弟子である唯円(ゆいえん)坊が自分の聞いた言葉を書き留めたものが主な内容となっている。

親鸞の死後20~30年のち弟子たちがおのおのに勝手な主張をしているのを嘆き、間違っている点を指摘し正しい教えをつたえるために記された、わずか1万2千字程度の短編

不屈の念仏者     親 鸞-5

・・・・・・・・・・・仏は何の為にいるのだ?・・・・・・・

親鸞は

①いくら浄土に生まれるという事が判っても、実は俺は死にたくない。

とか、

②俺はこの欲望を捨てきれない。

などと言う。・・・でも、そう言う人間だからこそ仏のすくわれるのだ。・・と。


親鸞は、自分の身がある限り苦しみつづける・・と言う所から眼をそらさない。

宗教的な救いの体験は親鸞にも明確にあるが、だからと言って、この社会を生きる問題が全部解決するわけではない。


親鸞は自分の無力さに悲しんで、それでも何とかならないだろうかと苦悩し続ける。


だから親鸞は、よくよく考えたら仏は何の為にいるのか?・・と自問して

「俺の為だ。」

「俺のような人間のためだ」・・・と思いあたる。


阿弥陀仏の光に照らされて、自分というものがくっきりと浮かび上がる。

その時、苦しみがなくなるのではなくて、しっかり苦しみを引き受けられるよう自覚できる。

それが救いと言う事かも、、また悟りと言う事である。・・と言える。


しかし、だからと言って「自分が悟ったその時から画に描いた聖人」のようになって、欲望をすてきって生きていけるわけではない。


生きていくかぎり苦悩はずっと続くのです。

不屈の念仏者  親 鸞ー4

・・・・・・・・「法然上人」・・・・・・

親鸞は、建仁元年(1201)法然上人の門弟となる。

既成仏教に絶望し比叡山を降りた求道僧には親鸞の前に法然がいる。
人々に専修念仏の道をといた浄土宗の祖である。

「末世の凡夫であっても、弥陀の名号をとなえれば、阿弥陀仏の願に乗じて、確実に往生できる。

難行から易業へ・・・自力から他力へ。

「南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ・・・・」

念仏の威力に目覚めた親鸞は、ほどなくして肉食妻帯に踏み切って戒を破り、
雑業を棄て、民衆宣撫の使命に燃えながら、法然の門弟となって、全く新たな仏法修行の道を切り拓いていった。

俗人でもなければお坊さんでもない。
親鸞は自分自身で『愚禿』と名乗り、自分は愚かな一人の人間に過ぎないのだと言い切ります。
"

不屈の念仏者   親 鸞ー3

塔の建立をこばみ、
弟子を持つ事を望まず、ただただ念仏に仏の呼び声を聞こうとした、愚禿・親鸞。

生死の問題に懊悩し、日本国中を彷徨を続けた、親鸞の実像を探求して行こう。


承安3年(1173)、京都東のはずれ、草深い日野の里に、藤原貴族の末流・日野有範の子として親鸞は生まれた。

親鸞9歳のとき、青蓮院慈円僧正のもとで出家をはたす。
他力往生にいたる永遠の念仏者・・・親鸞

仏像を拝むことを否定し、寺
出家からおよそ20年後、親鸞は比叡山で堂僧となり、日夜修行にいそしんだ。
しかし、断ち切れない煩悩にとりつかれた青年親鸞は、ついに29歳の時、修行を捨てて
山を降りる。

既成仏教に絶望し比叡山をおりた最初は浄土宗の祖・法然である。


不屈の念仏者  親 鸞ー 2

親鸞は承安3年(1173)に生まれ、治承五年(1181)の春に出家して青蓮院の慈円の門に入った。

親鸞出家の動機として有力なのは、当時の社会情勢が、平氏打倒を図る以仁王・源の頼政の挙兵による社会の混乱が急激に著しくなった事にも起因する。


不屈の念仏者  親 鸞 -1

親鸞・・愚者・悪人をも救う 絶対他力の大海

日本の仏教を根底から覆し、真の民衆宗教の旗手となった不屈の念仏者、愚禿・「ぐとく」・親鸞の像に迫る。

絶望と苦悩と歓喜と。 

親鸞は何故「非僧非俗の身となったのか」・・苦悶に満ちた波乱の生涯と、仏教思想の極限を指し示す、人間親鸞の信仰の全軌跡を探って行く。


人口に膾炙する
「善人なおもて往生す 況や悪人においておや」

是の解釈に励んでいこう。


★愚禿(グトク)・親鸞の出典
最澄が入山(にっさん)の願文に「愚中極愚、狂中極狂、塵禿有情、底下最澄」と述べた事による。
最澄が比叡山に入山するにあたって愚中極愚の自覚を持った事がその根底にあった。

親鸞は還俗させられ罪人の身分に落とされて「愚禿」の自覚に徹してから、「愚禿」の字を常用することになった。

"

江戸時代   家光の死後・・平和の時代到来

慶安4年(1651)4月、三代将軍徳川家光が死亡する。
4月20日の午後、将軍家光が江戸城本丸で息を引き取ったその夜、佐倉城主堀田正盛・岩槻城主阿部重次・側衆内田正信はそれぞれの屋敷において追い腹に及んだ。

 翌21日には小十人組頭であった奥山安重、23日夜には書院番頭奥勤の三枝守重も追い腹を切った。
親政によって将軍権力を体現してきた家光の死は、臣従してきた者たちの殉死をともなって、一つの時代の終焉を強く印象づけた 

 いくさは破戒を繰り返し、平和は文化を創造する。かつ文化の創造は平和を持続させる。
応仁の乱が1467年(応仁元年)に起こってからおよそ150年間、戦国時代・天下統一戦争と日本国内は戦の連続であった。

 また東アジア世界も倭寇に続くヨーロッパ勢力の進出と豊臣政権の朝鮮侵略、さらに17世紀からは中国での明清の戦乱が国際秩序の不安定を招いた。

 国内外の平和は、1651年(慶安4年)の将軍家光の死後、4代家綱政権の樹立後、1660年代になって確信されるようになった。
平和の到来は社会全体の生産力を上昇させ、商品流通も活発になり全国各地を結ぶネットワークも蜜になった。

 経済成長が進み社会全体にゆとりが生じたことは、幅広い担い手による文化創造を生むことにつながった。